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古典-名作名著

2016年5月15日 (日)

私の読書論80-読書について―我流の読書

 ―第175号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★
2016(平成28)年5月15日号(No.175)-160515-
「私の読書論80-読書について―我流の読書」

本誌では、老後における読書の習慣の身に付け方を、谷沢永一さんの著作『人間通』を参考に書いてみました。

「老後」と書きましたが、老後に限りません。
若くても中年でも、もちろん一緒です。
年齢は関係ありません。

でもそもそもなんで読書にこだわるのか、と疑問を抱かれるかもしれませんね。

読書というのは、学習の一方法です。

学習には、
(イ)人について人から教えてもらう方法 
と、
(ロ)一人で学ぶ方法 
があります。

一人で学ぶ方法の最たるものが本から学ぶ――読書という方法です。

一人で学ぶ方法の良いところは、
(A)場所を選ばずどこでも、時間を気にせずいつでも、自分の好きな時好きなところで学べるということ
(B)自分のペースで、自分のレベルで学べること
です。

「一人でできるもん!」

人に頼らずできる、ということは非常に便利なことです。
独力で切り開けるということは、上限がない、果てがない、ということです。
まわりの条件に左右されない、ということです。

読書のいいところは、
今現在の一流の先生はもちろん、過去の偉大な先生からも学べるということです。

もちろん、なかにはあれっと思わせる先生もいらっしゃいますけれど。
これはリアルであれ、本であれ一緒ですよね。

読書は学習だけではありません。
娯楽にも有効です。

ただ、人間というものは、自然と学ぶものです。
娯楽のつもりが何かを発見することもあります。

また、学習が娯楽になることもあります。
知らないことを知る喜び、等です。

その辺の広がりと深さが読書にはあると思うのです。
結局は、受け取り手の感受性であったり、知識や教養であったり、経験であったりが、差を生みます。

そんな読書をあなたも自分のものにして欲しいですね。
身に付けて損はない技術であり習慣ですから。

 ・・・

詳細は本誌で!

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

*本誌で参照した本:
能戸清司『知的「生きがい」の発見』産業能率大学出版部 1979/01

谷沢永一『人間通』新潮文庫 2002/5

2016年5月 6日 (金)

人に勝つ兵法の道-宮本武蔵『五輪書』NHK100分de名著2016年5月

NHK『100分de名著』2016年5月は、宮本武蔵「五輪書」です。

今回初めて読んでみました。

以前から書名は知っていました。
薄っぺらい本だということも。
読む気になれば、すぐに読めると高をくくって、今まで読まずにいたというところです。

今回読んでみますと、色々なことが分かりました。
また著名な古典といえども、色んな見方があるものだと、改めて認識させられました。

 ・・・

名著54 五輪書
第1回 5月2日放送 兵法の道はすべてに通じる
「兵法は全てに通じる」と説く宮本武蔵独自の兵法論を学ぶことで、現実社会を生きる私達にも通じるメッセージを読み解いていく。
第2回 5月9日放送 自己を磨く鍛錬の道
「水の巻」に即して、「自己鍛錬の方法」「専門の道を極める方法」を学んでいく。
第3回 5月16日放送 状況を見きわめ、活路を開け!
戦い方の根本を説く「火の巻」から、現代のビジネスやスポーツ等の分野にも応用できる「状況を見極め、活路をひらいていく方法」を読み解いていく。
第4回 5月23日放送 己が道に徹して、自在に生きよ!
武蔵が「少もくもりなく、まよひの雲の晴れたる所」と表現する「空」のあり様を明らかにし、「より大きなところから自分自身を見つめる視点」や「偏りや歪みから解き放たれた、自在なありよう」がどんなものかを学んでいく。

【講師】魚住孝至(放送大学教授)
【出演】チョウ・ヨンホ(俳優)
【司会】伊集院光,礒野佑子
【語り】山本美穂,【声】宇垣秀成

「プロデューサーAのおもわく。」より

「五輪書」は、単に剣術や兵法の書にとどまりません。武蔵自身「何れの道においても人にまけざる所をしりて、身をたすけ、名をたすくる所、是兵法の道なり」と書いている通り、その極意は、社会のあらゆる道にも通じるものであるといいます。... 番組では魚住さんを指南役として招き、「五輪書」を、宮本武蔵の生き様を交えながら、分りやすく解説。武蔵の思想を現代社会につなげて解釈するとともに、現代の私たちが生きていくためのヒントを読み解いていきます。

○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
宮本武蔵「五輪書」 2016年5月
独りの道を貫け!
己を磨き続ければ、自在な境地へと達する。

【講師・魚住 孝至さんの著作】
『宮本武蔵「五輪書」 ビギナーズ 日本の思想』宮本 武蔵 魚住 孝至 角川ソフィア文庫 2012/12/25

『宮本武蔵―「兵法の道」を生きる』魚住孝至 岩波新書 2008/12/19

【私が読んだ本】
『五輪書』宮本武蔵/著 渡辺一郎/校注 岩波文庫 1985/2

『実戦 五輪書』柘植久慶/著 原書房 1994
―冒頭に著者が『五輪書』の梗概とみなす「兵法三十五箇条」を置き、その後本編を原文・現代語訳・著書解説で示す。
 剣術経験はないが、ナイフによる“二刀流”の格闘実戦の経験から、武蔵の剣術及び兵法の要点を解き明かす。

 ●意外に悪評もある古典

『五輪書』について色んな人の本を見ていますと、毀誉褒貶といいますか、「あの本は中身がない」とけなす人もあり、剣豪の書いた古典として名著だという人もあり、と従来の古典のイメージとはずいぶん異なった印象を受けました。

従来古典の名著と言いますと、人により好き嫌いから好悪の評価が分かれることはありますが、これほど著作そのものの価値評価が分かれる例は存知ません。

これはどういうことなのかと自分なりに読んでみますと、「はは~ん」と思うところがあります。
一つは、やはり具体的な記述よりも、精神論的な、基本中の基本といった抽象論的な部分、これは言葉では言い表せないといった記述がある、ということです。

言葉では言い表せない、文章では書けない、といった記述が何カ所か見られます。
例―

一流の太刀筋、此書に書き顕はすもの也。此道いづれもこまやかに心の儘(まま)にはかきわけがたし。》「水の巻」
此儀濃(こま)やかに書分けがたし。》「火の巻」<一 三つの先といふ事>
さまざま心のゆく所、書付くるにあらず。》「火の巻」<一 つかをはなすといふ事>
今初而(はじめて)此利を書記す物なれば、あと先とかきまぎるる心ありて、こまやかにいひわけがたし。》「火の巻」
(岩波文庫『五輪書』渡辺一郎/校注より)

というように再三書かれていて、確かに言葉では言い表し難いことも多いとは思いますが、そうはいってもそこを表現するのが著作というものでしょう、という気もします。

もう一つは、やはり読む側の期待値というものが非常に高いという面があり、それに比較するとどうなんだ、という問題があるのでしょう。
なんと言いましても宮本武蔵と言えば、「巌流島の決闘」や京都・一乗寺下がり松での兵法家・吉岡一門との戦い等を思い起こす、生涯無敗の剣豪ですので、その奥義をしたためた書となりますと、おのずから期待も高まるものです。

ところが、一対一の戦いよりは、もっと大きな集団の戦いについて書いていたり、どうも剣術の本というより「兵法の書」になっているわけです。
また、剣術指南書というより、心の持ち方やものの学びについての抽象的・精神論的な大きなくくりの書になっています。

具体的な記述もあるのですけれど、(例えば、「水の巻」での刀の持ち方や構えといったこと等)、全体に心構えの重要性を述べたり、鍛練を求める言葉で締めくくったり、これは書き著せないので口伝するとしたり、今一つすっきりしない面もあります。
こういったところが評判を下げる要素なのかな、という気がします。

口伝となる部分は、理解できます。
人により体格も力量も違い、経験も理解力も異なります。
戦いの場も状況も様々であり、そこに共通して通用する何か魔法のような極意や秘伝があるとは思えません。
ケース・バイ・ケースで、マン・ツー・マンでなければ伝えられないものがあるはずです。

全体を通じていえば、未完成?な部分(「空の巻」には具体的な解説がありません。これは元々「ない」のか、あるいは「空」=「無い」の意なのか)もあり、写本自体の精度が悪いのか(私が読んだのは、いわゆる細川家本による)、はたまた元々名文家ではなかったのか、文人といわれる著述家の先生方から見れば、言葉遣いや言い回し等にものの足りなさを感じるところがあるのかもしれません。

 ●まことの兵法の道とは

講師の魚住さんの著作『宮本武蔵―「兵法」の道を生きる』によりますと、武蔵は『五輪書』以前に、いくつかの剣術書を書いているようで、『五輪書』は必ずしも今私が上に書いたような若書きのような著作ではなさそうです。

24歳で円明流という一流をたて、『兵道鏡』という剣術の奥義書を書いて、有力な弟子に与えていたそうです。
その後、29歳で例の巌流島での佐々木小次郎との決闘に勝ち、それ以後「天下一」の剣豪として、決闘の類は辞め、兵法の道を究める方向に進んだようです。

剣術だけでなく、書や画、茶の湯等広く教養を身に付けていった、と言います。

そして50代に入り、弟子の稽古の備忘録として書かれた14カ条のもの(魚住さんがいうところの『兵法書付』)があり、それは『兵道鏡』をさらに一歩進めたものでした。
60歳を前にして武蔵は、熊本・細川家の客分となり、『兵法三十五箇条』を藩主に呈上します。

これらは、のちの『五輪書』に通じるものでもあったと言います。

このように、『五輪書』にはその前身となる剣術書の類があり、それらを下敷きに死を目前にした武蔵が己の求めてきた兵法の道を窮める一書に仕立て上げた、というのです。

武蔵が求めたまことの兵法の道とは何か。
それが『五輪書』にしたためられているのです。

「武士道とは、死ぬことと見つけたり」といった言葉がありましたが、武蔵は死ぬことは武士でなくても誰にでもできることであり、本当の兵法の道とはそうではなく、

... 先(ま)づ、武士は文武二道といひて、二つの道を嗜む事、是(これ)道也。縦(たと)ひ此道ぶきようなりとも、武士たるものは、おのれおのれが分際程は、兵の法をばつとむべき事なり。... 武士の兵法をおこなふ道は、何事におゐても人にすぐるゝ所を本とし、あるいは一身の切合(きりあい)にかち、あるいは数人の戦(たたかい)に勝ち、主君の為、我身の為、名をあげ身をたてんと思ふ。是、兵法の徳をもつてなり。... 何時(いつ)にても、役にたつやうに稽古し、万事に至り、役にたつやうにおしゆる事、是兵法の実(まこと)の道也。》「地の巻」

(1)文武両道を備えるように努め、(2)不器用でも自分なりにできる限り努力し、(3)何事においても人に優れ、(4)切り合いに勝ち戦いに勝ち、(5)名を上げ身を立てること、すなわち「人にまさる」を目指して「朝鍛夕練」――日夜精進することだ、と言います。

 ●人にまさる

『五輪書』から印象に残った部分を書いてみます。

 ・・・

「地の巻」冒頭、武蔵は兵法を大工にたとえています。(<一 兵法の道、大工にたとへたる事>)

大将は大工の統領だ。
大工の統領は設計から材料選び、人の配置まで心を配って建物を作る。
士卒は大工だ。
自分で道具をどぎ、その道具を駆使して仕事を仕上げる。
兵法も同じだ、と。

そして「地の巻」の最後に、9カ条の兵法の道を行なう法を述べます。
第一に、よこしまになき事をおもふ所
第二に、道の鍛練する所
第三に、諸芸にさはる所
第四に、諸職の道を知る事
第五に、物毎(ものごと)の損得をわきまゆる事
第六に、諸事目利を仕覚ゆる事
第七に、目に見えぬ所をさとつてしる事
第八に、わづかなる事にも気を付くる事
第九に、役にたゝぬ事をせざる事

ひと目見れば分かりますように、正に基本的な事柄ばかりです。

何事にも気を配り、教養を身に付け、視野を広げ、ムダなことはせず、鍛練に励む。
誰でもその気になればできることでもあります。
そうは言ってもそれを究めるとなると、また話が別です。

「人に勝つ」ということは、「人よりもまさる」ことだというわけです。

 ●「勝つ」ということ「切る」という思い

武蔵は、まず兵法とは「敵に勝つ」こと、二天一流の目的は「敵を切る」ことだと明確に記しています。
「勝つ」

何(いずれ)にても勝つ事を得る心、一流の道也。》「地の巻」<一 此一流、二刀と名付くる事>
此法をおこなふ事、武士のやくなりと心得て、けふはきのふの我にかち、あすは下手にかち、後は上手に勝つとおもひ、... 一身を以て数十人にも勝つ心のわきまへあるべし。》「水の巻」
剣術実(まこと)の道になつて、敵とたゝかひ勝つ事、此法聊(いささ)か替る事有るべからず。我兵法の智力を得て、直(すぐ)なる所をおこなふにおゐては、勝つ事うたがい有るべからざるもの也。》「火の巻」
物毎(ものごと)に勝つといふ事、道理なくしては勝つ事あたはず。わが道におゐては、少しもむりなる事を思はず、兵法の智力をもつて、いかやうにも勝つ所を得る心也。》「風の巻」<一 他流におゐて、つよみの太刀といふ事>

「きる」

敵をきるものなりとおもひて、太刀をとるべし。》「水の巻」<一 太刀の持ちやうのこと>
いづれのかまへなりとも、かまゆるとおもはず、きる事なりとおもふべし。》「水の巻」<一 五方の構の事>
先(ま)づ太刀をとつては、いづれにしてなりとも、敵をきるといふ心也。》「水の巻」<一 有構無構のおしへの事>
唯人をきりころさんとおもふ時は、つよき心もあらず、勿論よはき心にもあらず、敵のしぬるほどと思ふ義也。》「風の巻」<一 他流におゐて、つよみの太刀といふ事>

何事に置いても、目的をしっかりと持つことが重要です。
ゴールをしっかりと見極められないと、何をしていいのか分かりません。

武蔵は、「人をきる」こと、「敵に勝つ」ことを根本に置いて話を組み立てています。
その辺がこの書が明快なものにしている点でしょう。

反面、そのためなら手段を選ばずといった姿勢も見られ、文人からは評判が悪いのかもしれません。

勝負において勝利を至上とする考えは、『孫子』の兵法にも通じる当然の戦略でもあると思うのですけれど……。

 ●心は空

「風の巻」で、他流との違いを書いています。
ここで、

我兵法のおしへやうは、初而(はじめて)道を学ぶ人には、其わざのなりよき所をさせならはせ、合点のはやくゆく理を先におしへ、心の及びがたき事をば、其人の心をほどくる所を見わけて、次第次第に深き所の理を後におしゆる心也。》「風の巻」<一 他流に、奥表といふ事>

といい、しかし、自分の教える兵法に特別な「奥口」はないといいます。

武蔵は、奥義や入口も構えの極意もない、ただ心の持ち方、兵法の徳をわきまえること、これが兵法における肝心なことだ、といいます。

我一流におゐて、太刀に奥口なし、構(かまえ)に極(きわま)りなし。唯心をもつて其徳をわきまゆる事、是兵法の肝心也。》「風の巻」

これが、最後の未完と思われる「空の巻」につながります。

空といふ心は、物毎のなき所、しれざる事を空と見たつる也。勿論空はなきなり。ある所をしりてなき所をしる、是則ち空也。... 武士は兵法の道を慥(たしか)に覚へ、其外(そのほか)武芸を能(よ)くつとめ、武士のおこなふ道、少しもくらからず、心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、心意二つの心をみがき、観見二つの眼をとぎ、少しもくもりなく、まよひの雲の晴れたる所こそ、実の空としるべき也。》「空の巻」

体力・精神力・知力など稽古や勉強を重ね、経験を積み、すべての面で人間力を磨き上げることが、勝つことにつながるという、宮本武蔵の言葉は、やはり思いものを感じます。

誰もが思いつくような当たり前のこと、基本中の基本かもしれませんが、それを言葉に書き著すことが大事です。
書いたものがあれば、時にこれを復習することができます。

頭の中で分かったつもりでいるとは、大きな違いがあります。
チェックするものがある事の重要さを認識しておくべきでしょうね。

フランクリンが『自伝』で書いているように、十三徳を表にして毎日チェックした、というのと同じです。
管理の際にリストと突き合わせてチェックしたり、巡回のたびにサインや印鑑を押したりするのと何でしょう。

 ●武道具は手にあふやうにあるべし

私が一番心に残った言葉は、

人まねをせず共、我身に随ひ、武道具は手にあふやうにあるべし。》「地の巻」<一 兵法に武具の利を知るといふ事>

道具は自分の身に合ったものを使え、という教えです。

私は左利きで、世の多くの道具は右利きの人が右手で使う、あるいは右構えで使うことを前提としたもので、その点でいつも物足りなさを感じています。

「物足りなさ」と少し穏やかな表現をしていますが、本当はもっと腹正しく憤りを感じています。
剣豪や士卒のように、直接命を賭けてる、命をやりとりしているわけではないのですが、実際に生活の不便さや時には身の危険にも発展する問題でもあるのですから。

道具は大切です。
自分に合ったものでなければ、色々と問題があります。

右利きの人は、もうそれだけで有利です。
ところが、自分が恵まれた存在であることをこれらの人の多くが意識していません。

恵まれた存在であることの自覚がないので、他の人の苦労が見えないのです。

原始時代は自分で使う道具は自分で作ったのでしょうね。
その時代の方がよかった、というつもりはありませんけれど、考え込んでしまう事実でもあります。

 ・・・

さて、今回はどのようなお話が展開するのか楽しみです。

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30 2015年10月放送:2015.10.7
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32 2016年4月放送:2016.4.4
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2016年4月30日 (土)

古代中国思想編(6)詩経を読む(前編)

 ―第174号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★
2016(平成28)年4月30日号(No.174)-160430-
「古代中国編―中国の古代思想を読んでみよう(6)詩経を読む(前編)」

本誌では、『詩経』を取り上げました。

『詩経』は、前回の『書経』と違い、一般向けの概説書・入門書がいくつかあり、とりあえずそれを読むだけでも一ヵ月はあっという間で、今回は概要をなでるだけといったところです。
(えっ、いつもそうだろうって。まあ、それは言わない約束で……。)

白川静さんの本はなかなか興味深いものがありました。
『万葉集』と『詩経』を比較するという点に大いに感心しました。

改めて、内容にふれる回を作ろうかと思います。
来月もう一回ガンバって見ようと思いますので、よろしく!

 ・・・

詳細は本誌で!

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

*本誌で参照した本:
白川静/訳注『詩経国風』平凡社・東洋文庫518 1990/5

白川静/訳注『詩経雅頌1』平凡社・東洋文庫 1998/6

白川静/訳注『詩経雅頌2』平凡社・東洋文庫 1998/7

白川静『詩経 中国の古代歌謡』中公文庫BIBLIO 2002.11.25

目加田誠/訳『詩経・楚辞』平凡社〈中国古典文学大系・15〉1969

目加田誠『新釈 詩経』岩波新書・青版 1954

小南一郎『詩経 歌の原始』岩波書店〈書物誕生 あたらしい古典入門〉2012/12/20

(◎:原典邦訳 ○:概説書)

2016年4月15日 (金)

私の読書論79おススメ古典50選候補1[海外古代フィクション系F]

 ―第173号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★
2016(平成28)年4月15日号(No.173)-160415-
「私の読書論79-〈「私のおススメ古典○○選」の試み〉3
-おススメ古典50選候補その1≪海外・古代・フィクション系F≫」

本誌では、私のおススメ古典50選の候補を紹介する第一回目です。

とうとう始めてしまいましたね。
正直、私程度の読書家がこういう大それたことをしてもよいのか、迷いもあります。

まあ、どうせ遊びですから、ね。
固いこと言わずに行きましょう。

第一回は「海外の古代編」として、神話を取り上げることにしました。
まずはギリシア神話から。

私の好みから言うと、もうなんと言ってもホメロス『イリアス』が一番です。

神々の物語よりも英雄の物語、人間としての英雄たちの運命との戦いに興味があります。

それからギリシア悲劇ですね。
どれをとってもいいのです。
これもホメロス同様、人間の生き方を描くものが心に残ります。

ギリシア悲劇は演劇(仮面劇)の台本ですので、そういう面から理解するべきなのでしょうけれど、今の我々から見れば、やはりどうしても読む物語になってしまいます。

ホメロスにしても、原典は韻文の詩ですが、私が読んだのは翻訳ですので散文です。
その辺の違いを頭の隅に入れて置くのも大事だと思います。

古代の文学といいますと、やはり韻文の詩形式のものが多く、古文を現代語訳にするにしても、海外のものなら翻訳になるわけですが、翻訳文にしろ、散文にならざるを得ないのです。
そういう原典からのずれをどこかで意識しておく方がいいのかなあ、と感じます。

ストーリーの面白さ(と台詞)ばかりに気がいってしまうのですが、私には楽しめないにしろ、形式美・様式美というものもあるのですから。
その辺を忘れてはいけないのでしょう。

 ・・・

詳細は本誌で!

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

*本誌で参照した本:
『中国の古代文学(一)神話から楚辞へ』白川静/著 中公文庫BIBLIO 1980.9.10
―中国文学の原点『詩経』と『楚辞』の古代歌謡を『記紀万葉』と対比して考察する。文学の原点である神話が、中国では『書経』に人間の歴史として書き変えられ定着していると解説する。

≪海外・古代フィクション系F≫【ギリシア神話】編
『イリアス』[上下] 松平千秋/訳 岩波文庫 1992.9

『オデュッセイア』[上下] 松平千秋/訳 岩波文庫 1994.9

『ギリシア悲劇 I アイスキュロス』高津春繁[ほか]/訳 ちくま文庫 1985.12
―縛られたプロメテウス  ペルシア人  アガメムノン  供養する女たち 慈みの女神たち  テーバイ攻めの七将  救いを求める女たち の7編を収録。解説/高津春繁。

『ギリシア悲劇 II ソポクレス』松平千秋ほか/訳 ちくま文庫 1986.1
―現存の7編収録。アイアス トラキスの女たち アンティゴネ エレクトラ オイディプス王 ピロクテテス コロノスのオイディプス

『ギリシア悲劇 III エウリピデス(上)』ちくま文庫 1986.3
―アルケスティス メディア ヘラクレスの子供たち ヒッポリュトス アンドロマケ ヘカベ 救いを求める女たち ヘラクレス イオン トロイアの女 全10編収録 解説(松平千秋)。 

『ギリシア悲劇 IV エウリピデス(下)』ちくま文庫 1986.5
―エレクトラ タウリケのイピゲネイア ヘレネ フェニキアの女たち オレステス バッコスの信女 アウリスのイピゲネイア レソス キュクロプス(完全な形で現存する唯一のサテュロス劇) 全9編収録。

2016年4月 4日 (月)

弱者(悪人)こそ救われる『歎異抄』NHK100分de名著2016年4月

NHK『100分de名著』2016年4月は、「歎異抄」です。

久しぶりに読んでいる名著の登場ということで書いてみます。

講師は比較宗教学者の釈徹宗さん。
著書など全く読んでいないのですが、どのように読み説かれるのか楽しみです。

名著53 歎異抄
第1回 4月4日放送 人間の影を見つめて
親鸞の人となりや弟子・唯円が「歎異抄」が執筆した背景を紹介しながら、人間の「影」を見つめ続けた親鸞の教えに迫っていく。
第2回 4月11日放送 悪人こそが救われる!
親鸞の思想の核心である「悪人正機」と「他力」という言葉に込められた深い意味を読み解き、自らの悪を深く自覚した人、社会の底辺で生きる弱者や愚者こそが救われるという、親鸞の教えの核心に迫っていく。
第3回 4月18日放送 迷いと救いの間で
唯円の反論を丁寧に読み解き、迷いと救いの間の緊張関係をたじろがずに受け止めていく親鸞の生き方を学んでいく。
第4回 4月25日放送 人間にとって宗教とは何か 
「歎異抄」後序、流罪記録に記された親鸞の信仰人としての生き様を通して、「人間にとって宗教とは何か」を考えていく。

【講師】釈徹宗…相愛大学人文学部教授。比較宗教学者。
【出演】かもめんたる(お笑いコンビ)
【親鸞の声】志賀廣太郎(俳優)
【語り】小口貴子

「プロデューサーAのおもわく。」より

同じ信徒の中からも多くの「異義」が出され混迷を深めていた状況を嘆いた門弟の一人、唯円が、師・親鸞から直接聞いた言葉と、信徒たちによる異義への唯円自身の反論を記したのが「歎異抄」です。/... 比較宗教学者の釈徹宗さんは、「歎異抄」の最大の魅力は、「常識的な日本人の宗教観や倫理観とは相容れない表現が続出し、読む者をなかなか着地させてくれない」ところだといいます。/... なすすべもない苦悩や悲嘆に直面せざるを得ない現代、「歎異抄」を現代的な視点から読み直しながら、「自分自身の闇に向き合うというのはどういうことか」「思い通りにならない現実とどう向き合えばよいのか」といった実存的な問いを掘り下げ、「人間はどう生きていけばよいのか」という根源的なテーマを考えていきます。

○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
歎異抄 2016年4月

■講師:釈 徹宗
信じる心は一つである
何もできないとわかるとき、親鸞の言葉が浮き上がる
■今月のテーマ
絶対絶命の時に浮上する言葉
『歎異抄』に収められた親鸞の言葉と、苦悩と矛盾に満ちたその生涯から、現代社会を生きるためのヒントを探る。

【講師・釈 徹宗さんの著作】
『図解でやさしくわかる 親鸞の教えと歎異抄』釈 徹宗/著 ナツメ社 2012/8/11

 ・・・

『歎異抄 ―現代語版― 浄土真宗聖典』浄土真宗教学研究社 浄土真宗聖典編纂委員会/編纂 本願寺出版社(1998)
―真宗本願寺による、現代語版『歎異抄』。訳注、付録・蓮如上人書写本(カタカナ文)。読みやすい現代語訳。

『歎異抄 現代語訳付き』親鸞/述 千葉乗隆/訳註 角川ソフィア文庫 新版(2001)
―十条までの親鸞の法語を前篇とし、十条後半を後篇への序文とし、十一条の異義への批判を後篇とする。原典に訳注・要旨を添えた前半と読みやすい現代語の後半の二部構成。

『歎異抄』梅原猛/著 講談社学術文庫(2000)
―梅原『歎異抄』研究の原点。本文各条(原文・訳注・こころ=要旨および解説)、巻末解説。大活字版。元本は1970年発行。

『出家とその弟子』倉田百三/作 新潮文庫 改版(2003)、岩波文庫(1990)
―大正6年発表、倉田百三26歳の戯曲。そのせいか、後半の若き僧唯円の恋の悩みを巡る親鸞とのやり取りが主なテーマとなっている。個人的には、冒頭の唯円幼少時、その父と親鸞の悪人と往生に関するやり取りは、興味を持って読んだが、後半はややセンチメンタリズムに落ちている感じがするのが、残念。

 ・・・

『歎異抄』については、以前メルマガ『古典から始める レフティやすおの楽しい読書』で取り上げています。
今回はその一部を転載し、加筆修正して紹介にかえましょう。

2008(平成20)年8月31日号(No.9)-080831-『歎異抄』弱きを救う阿弥陀さま

 ●『歎異抄』

日本の仏教のなかで最も知られている著作『歎異抄』――。

この本は、今でこそ最もよく知られる、よく読まれる宗教書、仏教書の一つでありますが、広く世間に知られるようになったのは、明治の半ばすぎのことで、百年ほど前の話だそうです。

浄土真宗の僧侶で西洋哲学を学び、宗門改革に尽力した清沢満之(きよざわ・まんし)が“発掘”し、その影響を受けた人たちによって注目されるようになったといいます。

特に、倉田百三の戯曲『出家とその弟子』(大正六年刊)があまねく日本人に知らしめるのに大いに役立ったのではないか、と梅原猛はその著書の中で書いています。
(『梅原猛著作集9・三人の祖師』小学館 2002「『歎異抄』と本願寺集団」371-372p)

この書物は、親鸞の死後、その教えを誤って伝える信者が増えたことを嘆いた直弟子、唯円(ゆいえん)が本当の親鸞の教えを伝える目的で、自分自身が直接聞いた親鸞の言葉をまとめたもの、といわれます。

しかるに、そういう経緯から書かれたこの書物が宗門においてもなぜ秘せられていた(といわれている)のか、その理由の一つが悪人正機説にある、とされています。

浄土教の流行がわが国におよぼした影響は大きい。中でも浄土真宗は、親鸞自身の意図とは別に、思いがけない方面に影響した。自力の拒否、戒律の放棄は独善的な、閉ざされた教団を成長させた。.../また一般に浄土教は現実逃避の傾向が強い。日本人が正面から現実の問題と取組むことを回避する態度を助長したのも、浄土教であった。したがって封建的勢力に協力し、社会の近代化を妨げた責任の一端もここにある。...》(渡辺照宏/著『日本の仏教』岩波新書(1958)「III さまざまな流れ/アミダ信仰」204p)


浄土真宗の「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えるだけで極楽浄土にゆけるという教えは、末法の世に生きる恵まれない境遇にある者にとっては、救いであったでしょう。

人間は弱いものです。
弱い者には逃げ場所が必要です。
その逃げ場所を提供してくれる阿弥陀さまは、まさに救いです。

「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。」(第三条) 「善人ですら極楽浄土へ行くことができる、まして悪人は、極楽浄土へ行くのは当然ではないか。」》(『梅原猛著作集9・三人の祖師』小学館 2002 「現代語訳『歎異抄』」梅原猛/訳 647p)

  

 ●悪人

「悪人」の本来の意味としては、
杉浦明平(すぎうら・みんぺい)さんが『歎異抄 古典を読む』(岩波現代文庫 2003、「3 善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」42p-)に書いておられるように、
殺生や肉食妻帯を禁じる等の仏教の戒律を守れない人々――山で獣や鳥を撃つ猟師、海や川で貝や魚を獲る漁師、酒を売る商人といった人たち。

さらにいえば、田畑で作物を取る農民も生き物を殺しているわけですし、当然それを食べる人間はみな同じ穴の狢です。
酒以外のものを作ったり売ったりする職人や商人も銭金にこだわるわけで、これも戒律からは外れているでしょう。
あるいは、肉欲に負けた一般庶民などの凡夫たち。

これらすべてをさし、現代的な(心も含めた)「犯罪者」を意味するのではない、のでしょう。

しかし、一歩進めて、現代的解釈であっても、「悪人」を責めるものではないように思います。

 ●いっとき逃げることが許されても良い

(たとえそれが言い訳であったとしても)“末法の世ゆえに仕方なく”悪事を働いた者が、悪人であってもお救いくださるという、阿弥陀さまのお力に頼ろうとすることは決して間違いではないのだ、という理屈は、弱い人間の心を強く打つものがあります。

確かに、現実逃避型の、現状肯定の思想であり、非改善・非改革の消極的な生き方ともいえます。

しかし、人間には時にそういう逃避的な生き方を選ぶ瞬間があってもよい、のではないでしょうか。

一時的にいじめから逃げるのも、一つの便法です。

同様に人生において、いっとき逃げることが許されても良い、のではないでしょうか。

故に、悪人でも、いや悪人ゆえに救われるという宗教家が現れてもいいはずです。

眼の前に救わねばならない人がいるならば、どのような手段を用いても救う、という行為もまた、宗教家の勤めであるような気がします。

もちろんその咎は、その宗教家自らがかぶることになりますが…。

 ●念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々のおはからひなり

さらにこの本の第二条の末尾で、教条について説明した後、

親鸞は、

「このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々のおはからひなりと云々。」

といいます。

なんとスゴイ言葉でしょう。
念仏を信じるのも捨てるのも自由です、あなたが自分で決めなさい、というのです。

当たり前といえば当たり前です。
しかし、弟子として信者として彼の言葉を求めてきた者に対して、こういう言葉で返す師。

これは並みの師ではいえない言葉でしょう。

第六条には、《「親鸞は弟子一人ももたずさふらう。」》と「私は弟子を一人も持っていません」とまで言い切るのです。

念仏を信じる人は親鸞自身も含めてみな、阿弥陀さまのお力にすがり、救っていただく同朋です、と。

理屈はその通りなんですが、あえてこう言う。

これほど平等、公正な師がいるでしょうか。
愚民凡夫といえども、人を人として扱ってくれる師が。

 ・・・

社会学者・上野千鶴子さんは、

「一時期この薄い文庫本をどこに行くにも持ち歩いていた。」

といいます。
なぜなら、

「慰めだったからである。」
「いつでも手の届く場所にあるだけで、安心である。」

(『図書』第697号 2007年4月臨時増刊 岩波文庫創刊80年記念「私の三冊」12p)

『歎異抄』とは、そんな存在の本なのです。

●法然と親鸞

法然が始めた専修念仏による浄土宗をさらに推し進めたのが、親鸞です。
法然の革新的な仏教をさらに人間的なものにした、という印象を持っています。

古今東西、宗教における救いといえば、まずは「悔い改めよ」から始まり、姿勢を正すことから入るものです。
しかし、親鸞は阿弥陀様の御慈悲にすがりなさいというだけです。

法然の他力は、既存の仏教の枠組の中での革新であり、基本的に真面目に念仏を唱えるという多少の自力的な要素が残っているように思えます。
しかし、親鸞の唱える絶対他力は、すべてを阿弥陀仏にゆだね、救いも含めてすべてをお任せする姿勢です。

また布教の在り方も、和讃といった庶民に受け入れられる形でやさしく説くなど、一般庶民に寄り添った姿勢が広い支持を得たのでしょう。

この機会にまた読んでおきたい古典です。

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真面目なる生涯~内村鑑三『代表的日本人』NHK100分de名著2016年1月
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2016年3月31日 (木)

古代中国思想編(5)書経を読む

 ―第172号「古典から始める レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

★古典から始める レフティやすおの楽しい読書★
2016(平成28)年3月31日号(No.172)-160331-
「古代中国編―中国の古代思想を読んでみよう(5)書経を読む」

本誌では、四書五経の第二弾、『書経』を取り上げています。

『書経』は、現在では多分ほとんどの人が読んだことのない書物かもしれません。
私も名前のみ知っているだけで、こういう機会でもなければ、触れることのない書物でした。

今回読んでみて、現代の中国を知る意味でも政治的・思想的に重要な書物ではないか、という気がします。
こういう歴史の伝統の上に現在の中国政府もあるのではないでしょうか。

王とその臣下や一般人民との在り方として、天命や民のための明徳慎罰の政治といった理想の世界が描かれています。
後年、これらが支配者の基準となったというのもうなずけます。

中国の神話を人間の歴史に組み込んでいる虞夏書の部分などに神話の原型を探るといった試みも興味深いものがあります。

神話は、それぞれの国や民族の文学の原点でもあり、これを知ることは民族の文化や思想を知る上でも大きな手がかりになります。
そういう面でも一読の価値のあるものだと言えるでしょう。

と言いつつ、実はおよそ二か月近くかかりながら、A5版二段組みの全集本でわずか370ページが読み切れませんでした。
残り40ページほどを残した時点でこれを書いています。

古典の読み方として私が推奨しているのは、(1)現代語訳でも翻訳でもいいから、まずは原典となるものを一度読んで、自分なりの何かを手にしてから、(2)注釈書や解説書を読み、(3)もう一度全篇を読んでみる、という方法です。

そういいながらも今回は、本文だけなら総計で150~60ページぐらいなのに、各篇の後に注が付いていることもあり、そのまま読み進めました。
思いのほか苦戦し――本を持っているだけでも一キロあり重いというせいもありますが――、漢字が難しいという理由も大きく、時間内に読み切れませんでした。

注には、翻訳上の解釈に関する部分も多く、この辺は素人は読み流してもよかったのですが、本文解釈上の注もあり、一気に読んでしまうことにしたのが失敗でした。

まあ、その辺は自分で判断し、読み込むようにして欲しいものです。

ただ『書経』の場合、一般向けの初歩的な解説書・注釈書といったものがほとんどなく、色んな本を探しながらで、ちょっと勉強しにくい面があります。
その辺は学者の先生方にこれからガンバって欲しいものです。

出版界も、金儲け中心の当面の人気に媚びる偏ったやり方をやめて、もっと実質的で普遍的価値のあるもの、百年千年単位の命脈を保つ書物を出して欲しいものです。

初版だけでおしまいになるような、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる式のものでなく、少なくとも十年二十年単位で売れ続けるものを目指してください。

まずは出版点数を絞ることでしょう。
少数精鋭で、勝負を!

 ・・・

詳細は本誌で!

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』


*本誌で参照した本:
赤塚忠訳『書経・易経(抄)』(平凡社〈中国古典文学大系・1〉昭和47(1972).6.20)

竹内照夫『四書五経入門 中国思想の形成と展開』(平凡社ライブラリー320 2000.1.24)

野間文史『五経入門 中国古典の世界』(研文出版・研文選書119 2014.3.20)

『中国哲学を学ぶ人のために』本田済/編(世界思想社 1975.1.20)

白川静『中国の古代文学(一)神話から楚辞へ』(中公文庫BIBLIO 1980.9.10)